秋風が吹いたら、一緒にラウンドしようと笑っていたのに・・・
ゴルフほど人間の素顔が現れるスポーツはない。と私は思う。
審判はいない。ルールは全て自分の責任。だからこそ「紳士のスポーツ」と
呼ばれる。フェアウェイに立てば、肩書きも装飾も剥がれ落ち、あるがままの人間性が露になる。
一緒にラウンドすれば、その人の仕事ぶりや生き方の奥底まで見えてくる。
立派な経歴の人が驚くほど細かい一打の執着することもあれば、無名の人が実に潔く振る舞うこともある。つまり、私のゴルフスタイルも、同伴者にはそのまま私の生き方として映っているのだ。
そんな私にとって、気の置けない大親友は「誘われるゴルファー」のお手本だった。常に受け身で、我を張らず、諦めない、真面目で堅実なプレー。誰からも「オマエとなら」と慕われ、誘われるゴルファーだった。腕前はもちろんシングル級。けれど彼の魅力はスコア以上に、その人柄にあった。ゴルフは誘われて一人前、というが、彼はその言葉を体現していた。
しかし、昨年の春、そんな彼が病に倒れた。治療が一区切りつくと、
真っ先に「ゴルフがやりてぇ」と言った。体力の衰えにクラブを換え、
ボールを替え、ワンラウンドは無理でもハーフなら、と懸命に体を慣らした。
痩せて行く背中を見ながら、胸が痛んだ。それでも猛暑の夏を越え、
秋になったら、また一緒に回ろう、と9月の初めに笑い合ったばかりだった。
ところが、先月28日、訃報が届いた。
共に親しんだ岐阜関カントリー、7番のショートコース。
彼がホールインワンをやったそのホール。私が打とうした瞬間。携帯が。
彼の死が伝えられた。馬鹿やろう。ここでまた、ホールインワンをと笑い合ったのに。涙が止まらなかった。
私より5歳若いじゃねぇか。天国の「蓮の花カントリー」で待っていてくれ。
彼は発病前に会社を処分していた。彼の真面目さからすれば、仕事と真摯に向き合うものだと思っていたが。あの思い切りは、死を予期していたのかも知れない。彼のゴルフと同じく、堅実で潔い人生だったのだろう。
フェアウェイに秋風が吹く。彼の笑顔と独特のスイングを思い起こしながら、
私は胸の奥で合掌した。友よ。寂しいなぁ。あなたの生き方は、きっと天国のグリーンでも光っているに違いない。私もその日が来たら、あなたに合致したクラブを握って、あなたと再びラウンドしよう。冥福を心から祈る。合掌。Goto


コメント
心よりお悔やみ申しあげます。
先生
ありがとうございます。
多少前後しましたが、順番です。
彼の分まで、生きてやります。
そして、天国で、その後を報告します。
でも淋しいなぁ・・・
後藤拝
ゴルフ仲間を失うのは、特別な思いがありますね。
私も4,5年前に成りますが、一年間で三名の友が亡くなりました。握りの好きな三人で、ラスベガスと個人の総握りと、わいわいがやがやと楽しんで、一日を過ごすことが出来ました。
帰りの喫茶店で清算をして、勝者が、支払うのが我々のルールでした。(飲み物+カツサンドとミックスサンドが定番)三人の内の一人の方は世話好きで、ゴルフ旅行の企画も毎年して頂いてました。(四組12名で三泊四ラウンド)五年ほど続きましたが、亡くなられてからはゴルフ旅行は消滅してしまいました。今でも思い出を話で花が咲きます。之は私が死ぬまで忘れられない思い出です。最高の仲間でした。現在のゴルフ仲間も最高です。亡くなられた人たちの思い出話をしながら、ゴルフをと愉しんでいます。後期高齢者となり、流石に握りは減りましたが、、、、
YASUさん
ゴルフができることに感謝です。
後藤拝