66万人少子化歯止めなし。

若者に何を託すのか

年の瀬になると、数字がやけに重く胸に落ちてくる。2025年、日本で生まれた子どもは66万7542人。過去最少である。朝日新聞の推計だ。前年比5.7%減。言葉を失う水準である。

さらに気が重くなるのは、将来推計との乖離だ。国立社会保障・人口問題研究所は、同規模になるのを2041年としていた。10年以上も前倒しだ。推計とは外れるものだが、外れ方があまりに大きい。真面目にやっているのか。怒りの矛先が向く苛立ちだ。

少なくとも、今年生まれた子どもたちが高校生になるまでに15年かかる。50万人割れどころか、40万人以下は視野だ。もはや仮定の話ではない。日本人がいなくなるってことだ。

少子化は若者の責任ではない。当たり前だ。
2025年の婚姻数は49万5千組。結婚し、子を持とうとする意思そのものが、社会の構造の中で細っている。歴代政権は「国難だ」と叫び続けてきた。高市政権も人口戦略本部を立ち上げ、年3.5兆円規模の対策を掲げる。

しかし、その巨額が、どこで、誰の背中を押すのかが見えにくい。
空に放たれた花火のように、音は大きいが、手応えが残らない。
いや、手応えがない。どうなっているのか。

海外に目を転じれば、必死さが際立つ。出生率1.10のスペインは「30分圏社会」を掲げ、街を根こそぎ作り替えようとしている。出生率0.72とOECD最低水準の韓国は、外国人労働力の受け入れを明確にし、社会の形そのものを変え始めた。ギリシャやバルト三国は自治体を大胆に統合し、人口縮小を前提に統治を組み直した。

韓国では女性が身元を隠したまま医療機関で子供を産める「保護(内密)出産」の公的制度が始まった。若者に耐えろとは言わない。若者が動ける社会に、先に変える。国民が政治が覚悟を示している。

そんな暗い数字が並ぶ中で、ひとつの光景が救いになる。
東京で開かれた農業高校生の収穫祭(主催・全国農業高校長・毎日新聞社)参加・21都道府県・45校、スポンサーはヤンマーが引き受けた。自ら育てた作物を、自らの声で売る。顧客の反応を学び、手応えを持ち帰る。毎日新聞社賞を受賞した岐阜農林高校の生徒たちが示したのは、未来を「担わされる」姿ではない。未来を「引き受ける」姿だった。

若者に何を託すのか。
答えは、責任ではない。重荷でもない。
生まれてきた子どもたちが、大海原を自由に進める環境を、先に整えておくことではないか。年の終わりに、私たち大人が自らに突き付けるべき問いは、そこに尽きる。Goto

コメント