遠くの親戚より近くの隣人
高市首相と韓国の李在明によるシャトル外交が続いている。昨年秋以降、三度にわたる首脳会談。しかも相互が故郷まで訪問したというから、単なる儀礼外交を超えた「関係修復」の意思が感じられる。
かつて韓国左派政権は、日本に対して歴史認識問題を厳しく追及し、感情的とも言える批判を繰り返してきた。日本国内でも嫌韓感情が高まり、もはや日韓関係は冷え切ったままなのだろうと思われていた。
しかし、国家とは感情だけでは動かぬ。まして外交とは、理念だけでも語れぬ。そこには国益と安全保障、そして国民生活が横たわっている。
「遠くの親戚より近くの隣人」とは、まことに含蓄深い言葉だ。
現在、世界は不安定極まりない。米国のトランプ政権は中東問題への関与を深め、イラン情勢は混迷を極めている。原油供給への懸念が広がり、日本も韓国もエネルギー安全保障に神経を尖らせている。両国とも中東依存度が極めて高く、「油」はまさに生命線である。
日本政府は、節電要請を見送り、LNGや石炭火力を活用すれば夏場の電力供給は維持できるとの見通しを示した。一方、韓国もまた事情は似ている。韓国産業通商資源省は、原油やLNGの備蓄管理を強化し、中東リスクに備えた緊急対策会議を重ねているという。発電構成は原子力依存が高いとは言え、輸入資源なくして国家経済は成り立たぬ。日本も韓国も、海上輸送路が脅かされれば共倒れになりかねない宿命共同体なのである。
そう考えれば、日韓関係改善は決して甘い理想論ではない。むしろ現実的な生存戦略と言うべきであろう。
歴史問題や領土問題は重要である。しかし、それだけに縛られて互いを罵り合えば、利益を得るのは周辺大国だけだ。儒教の精神には「和して同ぜず」という教えがある。考え方は違っても、争わず共存する。相手を完全に屈服させようとせず、礼を持って向き合う。東アジアの知恵とは、本来そういうものだったはずだ。
私は、人間学の根幹は「相手を理解しようと努める姿勢」にあると思う。相手を全否定するのは簡単だ。しかし、それでは憎しみしか残らぬ。国家間もまた同じである。
興味深いのは、保守色の強い高市首相と、左派色の強い李大統領が、案外しっかり手を握っていることだ。イデオロギーばかり振り回し、「右か左か」でしか政治を見られぬ人々には理解できまい。
だが政治とは、本来、国民を守るための現実的な営みである。理想論だけでも駄目、感情論だけでも駄目。だからこそ、外交には対話が必要なのだ。
「困ったことがあれば頻繁に連絡を取り合おう」そんな首脳同士の約束は、決して軽いものではない。外交とは、結局は人と人との信頼関係なのである。
願わくば、日本と韓国だけではない。中国ともまた、一衣帯水の隣国として、粘り強く対話を重ねて欲しい。私は甘い平和主義者かもしれぬ。しかし、戦争が何も生まぬことを知る人間として、「反戦」の立場だけは捨てたくない。
国家もまた人間である。怒り続ければ、やがて疲弊する。ならば、時に冷静に、時に譲り合いながら、「大人の関係」を築く努力を続けるしかないのであろう。Goto


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