2025年の合計特殊出生率は最低、1.14。
前年の1.15を下回り、過去最低を更新した。出生率の低下は10年連続。日本人の出生数は67万1236人となり、ついに70万人を大きく割り込んだ。
朝日、毎日、中日が一面トップ。日経も一面で大きく扱い、読売も二面トップで報じた。しかし、記事を読んでも私には国家的危機に対する切迫感が伝わってこない。
少子化は単なる数字の問題ではない。働き手が減る。税収が減る。社会保障制度が揺らぐ。地方が消滅する。学校が統廃合される。商店街が消える。地域コミュニティが崩壊する。防衛力も弱体化する。医療も介護も担い手不足となる。国家の土台そのものが痩せ細っていくのである。
しかも、その影響はすでに現実となっている。お産を扱う産科施設は全国で千施設を切った。産科医不足は深刻だ。小児科医も減少が続く。子ども病院の多くは慢性的赤字に苦しんでいる。子どもが減れば患者も減る。当然、経営は苦しくなる。結果として、命の誕生を支える医療基盤そのものが崩れ始めている。それにもかかわらず、多くの国民はどこか他人事である。
国が何とかしてくれる。自治体が考えるだろう。そんな空気が社会全体を覆っているように思えてならない。
考えてみれば、皇位継承問題も同じである。皇族の減少は何十年も前から分かっていた。それでも結論は先送りされ続けている。つまり、多くの国民にとっては国家の存続も皇統の継承も、自分の生活に直結しない限り関心の外なのである。
自分さえ良ければよい。
今が楽しければよい。
そんな風潮が日本社会に広がっている。
しかし、人間学は違う。
人間は単独で生きる存在ではない。祖先から命を受け継ぎ、子や孫へと命をつなぐ存在である。子どもを産むか産まないかは個人の自由である。国家が強制することではない。だからといって、人口減少を放置してよい理由にはならない。自由には責任が伴う。社会を支える人がいなければ、自由を享受する社会そのものが成り立たなくなるからだ。
私は少子化問題の本質は経済ではないと思う。人間観の問題である。家族とは何か。命をつなぐとは何か。国家とは何か。社会とは何か。そうした根本を考えなくなった結果が今日の少子化ではないだろうか。
だから私は危機感を抱く。
危機感のない政治に。
通り一遍の報道しかしないメディアに。
子ども医療の崩壊が見えているのに、それを正面から論じない社会に。
そして何より、この現実を自分事として受け止めない国民に。
戦争がないから平和なのではない。
国家の存続に関わる危機を見ようとしない状態こそ、本当の「平和ボケ」である。
出生率1.14。
この数字は単なる統計ではない。
未来の日本から私たちへの悲鳴なのである。Goto


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