アウン・サン・スー・チー

東南アジア重視の外交に舵を切って欲しいと願うのだが・・・・
何かが出来るわけでもないが。ちょっと酷過ぎると、長年に亘り心の片隅に引っ掛っている国際問題がある。ミャンマーの非暴力民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チーさんの自宅軟禁のこと。
1989年、国家防御法違反により軟禁されてから、20年に及ぶ。「ビルマ独立の父」アウンサン将軍の娘であるがゆえに、民主化運動の象徴的存在となって、ノーベル平和賞まで受賞したのに・・・・・。
1999年にはイギリス人の夫との再会もかなわず死別したという。政治の非常さを感ぜずにはいられない。あまりにも・・・・・。先頃のASEAN(東南アジア諸国連合)の外相会議でも、二年連続スーチーさんの解放を訴えているが・・・・・。国際社会が声を大にしてもは彼女の拘束を解くことができない。
このところの報道では、ミャンマー軍事政権は北朝鮮からミサイルのみならず、核兵器の輸入まで計画していると言う。東南アジアの火薬庫になる危険をはらんでいる。
スーチーさんが、軟禁される前だから、20数年前になるが、戦争末期、日本軍がインパール作戦の最前基地にしたビルマの中北部マンダレーを訪ねたことがある。あの「ビルマの竪琴」の舞台である。
マンダレーの人たちは親日が多く、日本人のことを、当時でも「マスター」と呼んで畏敬の念を持っていたのには驚いたものだった。その影響かどうかはわからないが、スーチーさんも85年から一年間、京都大学「東南アジア研究所」で学んでいる。
戦後、自民党政権は外交の軸足をアメリカに置いてきたが、もしも、政権交代が可能となり、民主党政権が誕生したら、新政権には、東南アジア外交を重視して欲しいものだ。
その手始めに、ミャンマーとの関係を改善して、人道的見地と、アジア重視の象徴として、スーチーさんの開放に取り組んで欲しいと願うのだが・・・・・・・・。               Goto

コメント