一日一生

秋雨と枯葉散る・・・・早朝に思う・・・。
早朝ウォーキングも、今朝で連続70日。随分、様(さま)になってきたと思っています。やり始めた事を三日坊主に終わらせないようにするには3ヵ月で習慣化すると言います・・・ちょっと早いですが。
様になってきたとは・・・身体が「呼ぶ」と申しますか。目覚めたら歩くことが習慣化してきました。毎朝同じ道を歩くのですが・・・毎朝違う。街の風景も野辺の草花も・・日々刻々と変化している。その違いを楽しめるようになりました。
私のウォーキングタイムは、まず20分、県の総合グランド(メモリアルセンター)のサンサンデッキ(地上階)まで速足で。そこから金華山全体が見えます。岐阜城に手を合わせ・・・ストレッチを10分(持病の肩と首の痛みも随分楽になりました)
それから・・・・最も好きなメモリアルセンターの北側外周・・・(森林浴のように木立が歩道に覆いかぶさっています)を、これまた・・・速足で自宅まで20分ほど。距離にして2,5キロほどでしょうか。時間と距離も丁度「様」になっていると思えるようになりました。
それと、気持ちです。昨日のことをくよくよ考えない。昨日は朝、目が覚めた時点で終り(昨日のことが頭に残り寝れないこともありますが)。歩き始めたら「新しい人生のスタート」だという気分になります。
オーバーですが、そんな新鮮な気持ちになれるようになりました。
「一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどの務めをせばその日過ぎるなり、一日、一日と務むれば百年千年も務めて安し」「一大事と申すは、今日只今の心なり」と喝破した「一日暮し」という禅宗坊主の一文があります。(日経夕刊より)
その域には・・・到底及びませんが、故郷の景観も道端の草花も・・・その日を限りに生きていると思うと、一日を大切に・・・「一日一生」の気持ちで懸命に生きなければと・・・小雨ですが枯葉散る早朝ウォーキングを楽しんでいます。       Goto

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