絶対安全神話

メディアはメディア見識で安全基準を示すべきだ。
「寄って立つ支柱がなければ生きてこれなかった人は、その支柱が倒されても必ず別の支柱を求めるようになる。」文藝春秋12月号「頑張ろう日本」はどこに行った?と題した、塩野七生さんの一文である。
毎日新聞。19日朝刊。大震災検証。食品汚染と題して、見開きの大特集を組んでる。(写真参照)リードは、福島第一原発の事故で、食の安心への信頼はなぜこれほど失われ、生産者と消費者は分断されてしまったか?ある畜産農家の8ヶ月間を中心に検証する。と煽りに煽る。
事実は事実なのだから、煽るのは結構。でも、煽りの結論はといえば、「国の示した付け焼刃の安全基準は、安心を得るには程遠いものだ。と、国をなじるだけ。では、どうするのか?
私には、国の定める暫定規制値を、更に厳しくせよ。と注文を付け。それよりも、上回れば、鬼の首を取ったように、食品汚染だ。大変だと、煽る。そして、生産者が可哀想だ。政府の責任は重いと。消費者を不安に陥れる。
今回の原発事故で、われわれ日本人は「絶対安全」などというのは神話にすぎなかったと知ったのではなかったか。それなのに、ミリシーベルトとか、ベクレルとかを、呪文のように唱えることで、もう一つの「絶対安全」を求めようとしている。
原発事故で、汚染がどのような形で、現れるのか?如何なる状況になるのか?実のところ、誰にもわからないのである。わからないからといって、政府を責め。恐怖心に駆られては、常軌を逸する。
東日本大震災という不幸を契機に、せめては絶対安全神話から卒業しようではないか。そして、風評被害の加害者になることから卒業し、日本全体対処することで、難局を乗り越えようではないか。と、訴える塩野さんに、賛意を示したい。
それにしても、生産の過剰汚染をあおり、いたずらに消費不安を煽って、絶対安全神話で、読者を引きつけようとする姑息な手法、マッチポンプは、ほどほどにして欲しいものだ。メディアはメディアの見識で、安全基準を示して見なさい。Goto
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11/19 毎日新聞

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