超我と我欲

馬齢を重ね・・・なお・・・従心にして矩を踰えず・・・
昨日・72歳の誕生日でした。
古希を二つも過ぎた高齢者が、今更・誕生日でもないのですが。
コロナ禍後・全社員とのコミュニケーションの場を設けています。
その場が毎週木曜で、偶然、誕生日にあたりました。
司会が・・・紹介してくれたおかげで、多くの方から祝意の声を掛けてもらいました。
さて、なんと返事をすれば良いのか。「ありがとうございます」・・・だけでは。
こんな謝意が浮かびました。
「いたずらに馬齢を重ねただけ、恐縮です。
過去を振り返るのが苦手です。かと言って未来を語る才覚もありません」
「今がいちばん・若いと思っています。ですから、今を精一杯生きたい
その生き方は『従心にして矩を踰えず』でありたい。感謝です」・・・と・・・
別段、特別なことではありません。孔子様が古希になれば、そうあれと仰ったことです。
馬齢を重ねますと、人間わがままになります。
わがままとは「心の命ずるがまま」に生きることです。問題は命ずる心が奈辺にあるかです。
社会にはルールがあります。その「ルールの内」に心があれば、わがままで良いわけですが、
そのルールを踰えますと、暴走・わがままになり、それを世間では老害と呼びます。
ルールという言い方をすると、決められた法律があるのかと思われますが。
そんなものはありません。今まで生きてきた生き方の中にルールはあります。
一人ひとり違います。でも、一つだけルールではありませんが真理があります。
それは「超我であれ」です。わがままの根底に「我欲」があれば矩を踰えます。
人間とはそもそも強欲な生き物です。自分さえ良ければと思っています。
昨今の高齢者の我欲は目を覆うものがあります。
「超我」であるのは難しいことです。しかし、人は死するものです。
残された時間・従心でありたい・そして超我の心で生きてゆきたいと思います。
格好よすぎますかねぇ。誕生日に声掛けていただいた各位に改めて深謝です。
今暫し馬齢を重ねることお許し願います。Goto

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