――新聞週間に寄せてーー
10月15日から始まった「新聞週間」、そして20日は「新聞広告の日」。
この時期になると、私はあらためて「新聞とは何か」を考える。
結論を先に申し上げたい。
「新聞を読もう」――それに尽きる。
SNSやネットニュースと新聞を比べる人がいる。だが、私はいつも不思議に思う。なぜ比べるのか。新聞が一つの記事を紙面に載せるまでには、膨大な取材、裏付け資料の確認、デスクチェック、校閲という厳格なプロセスを経る。そこには「事実を正確に伝える」という使命感がある。ゆえに、世論調査でも八割の人々が新聞報道を「信頼できる」と答えるのだ。
広告も同じである。ネット上の広告は誰でも発信でき、虚偽や誇張も横行する。被害にあっても自己責任の世界だ。
だが新聞広告は違う。掲載前に新聞社の広告局が精査し、虚偽は排除される。紙面を携えて抗議すれば、きちんと対応してくれる。新聞という公器が背負う「責任」がそこにある。
もちろん、誤報がないとは言わない。先の自民党総裁選では、ほとんどの新聞が小泉進次郎氏を本命視したが、結果は高市氏の圧勝であった。なぜか。――私は、記者が減ったからだと思う。
朝日、毎日、読売、日経、いずれも購読部数減に苦しみ、記者を削減している。
私の住む岐阜県でも、かつて20人以上いた朝日新聞岐阜支局の記者が、今やわずか4人。これでは、県政も県警も十分に追えない。誤報が起きるのは、現場の目が減ったからである。新聞社の危機とは、経営の危機であり、人の危機である。
それでも、私は新聞を信じたい。
日本新聞協会は、新聞週間ごとに著名人のメッセージを発表する。
今年、漫画家・魚豊さんはこう語った。
「私のやりたい仕事は新聞記者だった。自分の足で真実を取りに行くところに魅力を感じる。新聞は実家のような存在だ。みんな本当は心のどこかで新聞を信頼している」この言葉に深く頷いた。多様なメディアが乱立する時代だからこそ、伝統的な取材の力、エビデンスを重んじる姿勢が、いよいよ尊い。
そして、今年の朝日新聞の新聞週間特集「真実をもとめ、きょうも現場へ」。
汗を流し、泥にまみれ、現場で光る記者たちの筆魂に感動した。
新聞人たちよ、今こそ奮い立て。
言葉を軽んじる風潮の中で、真実を掘り起こす仕事ほど、尊いものはない。
我が社もまた、原点は新聞広告にある。
「新聞広告の日」にあたり、新聞に携わるすべての人々に、心からの敬意とエールを贈りたい。
新聞を愛し、新聞を信じ、新聞を読み続けよう。
それが、正確な情報社会を守る、私たち一人ひとりの責任である。
Goto
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