厳しさは温かさ

雪に右往左往、大自然に静かに額ずく

十二日、三連休最終日。日本列島は大寒波に包まれた。岐阜市も十センチの積雪。恒例のシティマラソンは中止ではなかったが、足元が怪しいまま少人数の参加者でスタートした。私はホームコースでの新年役員合同のゴルフと懇親会に臨んでいたが、ゴルフは中止。それでも各委員会の年度方針発表と懇親の席は予定通り開かれた。

ふと思う。ゴルフは自然との闘いだ、などと軽々しく言うが、それは自然への冒涜ではないか。人間が自然と闘うなど、おこがましい。ゴルフとは、大自然にもて遊ばれ、試され、そして受け入れられるスポーツである。雪が降れば中止になる。それでよい。自然が「今日はここまで」と告げているのだから。

雪は深々と降り続いた。
朝、いつもよりやや遅れて、ポストに朝刊が投げ込まれる音がした。思わず自室から感謝を伝えようと階段を駆け下りたが、間に合わない。
足がもたついて、賭け下りたとは行かなかったが。玄関に着いたはついたが。

単車はそろりと次の配達先へ向かっていく。隣も、その隣も購読していない、配達はまばらだ。雪の中、遠ざかる背に向かい、私は静かに首を垂れ、合掌するしかなかった。ありがとうございます、と。

こんな雪の早朝でも、働く人がいる。いや、働いてくださる人がいるからこそ、私たちは新聞を開き、世界と地域を同時に知ることができる。新聞はもう不要だ、スマホで足りる、テレビで十分だ――そう言う声も多い。時代の趨勢と言えばそれまでだろう。

しかし、国際社会の動きから地域の細やかな出来事まで、総合的に、体系的に伝えてくれる媒体は、やはり新聞をおいて他にない。新聞社は不夜城。一晩かけて作られ刷られ、早朝にポストへ届く一紙一紙が、いとおしい。

北国では一年の四分の一ほどを雪に閉ざされながら、人は生き抜く。雪に縁のない土地で暮らす人には、想像しにくいかもしれない。だが、なぜ雪国の人は我慢強いと言われるのか。その理由は明白だ。大自然に逆らわず、黙々と雪をかき、耐え、受け入れて生きるからである。

逃げる人もいる。だが多くの人は、大地に根を張り、自然の恵みに感謝しながら生きている。だからこそ、この国の地域は、今も確かに息づいている。

人間は大自然に逆らって生きることなどできない。摂理に従うことで、生かされている。わずか十センチの雪で右往左往していてはならぬ。暑い、寒いと喚く前に、身を護り、黙々と為すべきことを為す。その姿勢こそが、人を、人間たらしめる。

厳しさは、決して冷たさではない。厳しさの底には、必ず温かさがある。

大寒を前にして、四季に感謝し、冬に感謝し、それに耐え生き抜く人々に感謝したい。そして私自身も、生温いことを言っていないで、老骨に鞭打ち、耆脩たる生き方を志さねばならぬ。

大自然に、静かに額ずきながら。Goto

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