天才良し、秀才良し、しかし鈍才これまた良し
数字には縁遠い私であるが、ひとりの数学者の生涯に触れ、深い感銘を受けた。ノーベル賞に比肩する栄誉、フィールズ賞を受賞された広中平祐さんが、94歳で静かにその歩みを閉じられた。
広中さんの業績の核心は「特異点解消の定理」にある。これは、方程式で表される図形に現れる“とがり”や“ねじれ”といった不規則な点、すなわち特異点を、ある操作を繰り返すことで滑らかな形に変換できることを証明したものである。しかもそれは、二次元や三次元にとどまらず、あらゆる次元の代数多様体に対して成立するという、数学史に残る偉業であった。混沌を秩序に、複雑を単純に導くその営みは、まさに人間が世界を理解しようとする知の極致と言えよう。
私にとって広中さんは、どこか親しい存在であった。我が社「中広」を逆さにしたようなお名前に、勝手ながら縁を感じていたからである。しかしその人間的魅力に触れ、単なる親近感を超えた敬意へと変わった。
米国留学時代の言葉が残る。「世の中には、自分など及びもつかぬ優秀な人間がいる。いちいち嫉妬しても始まらない」。そして「あきらめる」とは投げ出すことではない、余計な執着を捨て、目標を見据えて歩むことだと語る。この境地は、競争社会に身を置く我々にとって、どれほど示唆に富むことか。
数学者は早熟の天才という通念に対し、広中さんは「遅咲き」の努力型を自認された。「天才良し、秀才良し、しかし鈍才これまた良し」。この一言に、人間学の真髄を見る。己の器を知り、嫉妬を捨て、歩みを止めぬ者こそ、最後に花を咲かせるのである。
学問の世界にとどまらぬ足跡もまた見事である。日本の子どもたちに夢を与えた「算数オリンピック」の提唱。さらに、山形大学の学長として教育改革に尽力された。加えて、小澤征爾氏に請われ、サイトウ・キネン音楽財団の理事長として音楽・芸術の振興にも力を尽くされた。学問と芸術、その双方に橋を架けた稀有な存在であった。
驚くべきは、80歳を超えてなお新たな研究に挑まれたことである。代数多様体の特異点に関する新しい視点を提示し、若い研究者に刺激を与え続けた。その姿は「鈍才」を標榜しながら、実は誰よりも粘り強く思索を深めた求道者そのものである。
晩年の言葉が胸に迫る。「棺桶に入るとき、涙を流して微笑みたい」。人生の終わりにおいて、自らの歩みに納得できるか。これ以上に厳しく、そして温かい問いがあろうか。
広中平祐さんは、世紀の難問を解いただけでなく、後進を育て、子どもたちに学ぶ喜びを伝え続けた。その生きざまは、人間とは何か、働くとは何かを問い続ける我々に、大きな指針を与えてくれる。
嫉妬を捨て、己を知り、歩みを止めない。人は誰しも、自らの場所で花を咲かせることができる――そのことを、静かに、しかし力強く教えてくれた人生であった。
ここに深い感謝と哀悼の意を捧げ、心よりご冥福をお祈り申し上げる。Goto


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