「人生、邂逅し開眼し、瞑目す」。
河井寛次郎のこの言葉を、私は折に触れて思い起こす。人は出会いによって目を開かれ、やがて静かに目を閉じる。その一連の営みこそが人生であるならば、いま我々が向き合っているAIとの関係は、まさに“新たな邂逅”のただ中にあると言えよう。
まず一つ目の題材である。
飲料メーカーのサントリーは、消費者の生活スタイルや価値観を世界共通の尺度で捉える仕組みを構築した。主要8カ国の市場において、30項目に及ぶ変化の兆しをインプットし、社会環境の差異を踏まえながら、人々の健康志向や嗜好、さらには風味の好みまでをデータとして可視化したのである。
この「見える化」によって導き出された新商品は、タイ市場において発売直後から計画比1.8倍という成果を上げた。ここで注目すべきは、データを集めたのは人間であるが、その膨大な情報から意味を抽出し、新たな価値へと結晶させたのはAIであるという点だ。
すなわち、邂逅は人が担い、開眼はAIが導く。
この構図は、これからの企業活動の本質を鋭く示している。人間の経験と勘を超えたところで、AIが静かに、しかし確実に意思決定を支配し始めているのである。
二つ目の題材は、さらに深い示唆を含む。
米国のOpenAIが、AIそのものに「AI社会のあり方」を提言させたという事実である。
AIは自ら、雇用の喪失、格差の拡大、サイバー犯罪の増加といった深刻なリスクを列挙した。そして、AIによって生まれる利益は国民全体で分配すべきであり、労使はAIの活用について真剣に議論すべきだと訴えた。さらには、企業収益の増大に備えた課税強化や、その税収を失業対策に充てるという政策にまで踏み込んでいる。
驚くべきは、ここに人間の倫理観の投影を見るのではなく、「AIがAIを制御しようとする構図」が現れ始めている点である。AIが自己の影響力を自覚し、その危険性に警鐘を鳴らす。この現実は、もはや寓話ではない。
ここに至って、我々は重大な問いに直面する。AIとは何か。道具なのか、同伴者なのか、それとも新たな知性なのか。
もしAIが人間の知能を超える「超知能」へと至るのであれば、我々は単なる利用者ではいられない。位置づけを誤れば、人間は意思決定の主体から滑り落ち、気づかぬうちに「選ばされる側」に回る危険すらある。
だからこそ、今こそ考えねばならない。
AIをどこに置くのか。どう共存するのか。
それは技術論ではない。人間観そのものの問題である。
AI談義に興じている余裕はない。
邂逅の喜びに酔っている時間も長くはない。
開眼の先に待つものが、果たして光か、それとも静かな瞑目か。
我々はいま、その分岐点に立っている。Goto


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