公務員の副業解禁に思う

国家衰退の象徴ではないか。

この4月から国家公務員の副業が解禁された。私は率直に言って、この動きに強い違和感を覚える。そもそも「副業」とは何か。本業以外に、継続的に報酬を得るための仕事を持つことである。単なる趣味や一時的な収入ではない。時間と責任を伴い、対価として金銭を得る「第二の労働」である。

では、なぜ人は副業をするのか。多くの場合、理由は単純だ。生活のため、すなわち経済的な不足を補うためである。であるならば、本来問うべきは「副業を認めるか否か」ではなく、「副業をしなくても生活できる賃金が支払われているのか」という根本であろう。国家も企業も、労働者が安心して暮らせる報酬を用意できないのであれば、その存在意義が問われる。

公務員の副業がこれまで厳しく制限されてきたのには、明確な理由がある。第一に、公務の中立性、公平性を守るためである。特定の企業や利害関係に関わることで、職務の公正さが損なわれる危険がある。第二に、職務専念義務である。公務員は国民全体への奉仕者であり、その職務に全力を尽くすことが求められる。第三に、信用の保持だ。公務員の行動は、そのまま行政への信頼に直結する。これらはいずれも国家の根幹に関わる重要な原則である。

それにもかかわらず、副業解禁が進められている。理由として「人材不足」「キャリア形成」「自己実現」などが挙げられているが、私はこれを到底納得できない。人材不足を解消するために副業を認める?それは本末転倒だ。公務員という職の魅力は、本来、安定性と公共への貢献にある。副業を餌に人を集める発想自体が、制度の根幹を軽んじている。

また、「副業でキャリア形成ができる」という理屈も空虚である。仕事とは片手間で成果が出るほど甘くはない。本気で向き合い、時間と覚悟を投じて初めて価値を生む。副業で得られるのは、せいぜい小遣い程度の経験か、あるいは本業への集中力の分散であろう。それをもって成長と言うのは、あまりにも軽い。

さらに、「自己実現のため」という言葉には、違和感を通り越して怒りすら覚える。公務員とは、国民のために働く仕事である。その奉仕こそが、最も尊い自己実現ではないのか。もし他に実現したい人生があるのなら、潔く職を辞し、その道に進めばよい。中途半端に公務に身を置きながら、別の自己を求めることは、国民に対して不誠実ではないか。

私は思う。働くとは、人間の尊厳そのものである。どんな仕事であれ、コツコツと、真剣に、全力で向き合う。その姿勢に対してこそ、社会は報酬を支払うべきだ。もしそれができないのであれば、国も企業も、その存在価値を問われるべきである。

公務員の副業解禁――どんな理屈を並べようと、私は理解できない。これは制度の緩みであり、責任の希薄化であり、ひいては国家の衰退を招きかねない兆しである。厳しい言い方かもしれない。しかし、働くことの本質を軽んじる社会に、未来はない。私はそう断じたい。Goto

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