「生」情報は、一味違って美味しいですよ。
世の中のスピードがとても速い。
新しい情報が次々に生まれ、それを消化するのは大変です。
貧乏性なんでしょうか?ここらで、一休み。などと、一息入れるものなら、
時代に取り残される。と、変な強迫観念に駆られます。
高度成長で滲みついた企業戦士のなれの果て何でしょうか。
一生、仕事、仕事と、追いまくられ、生きて行くんでしょうね。
溢れる情報のシャワーに身を置き、それをベースに仕事を組み立ててますと、
うわべの情報に一喜一憂して、物事を深く考えたり、本質を見極めるることなく過ごしてしまいます。
それで、大丈夫か?などと、振り返る時間に遭遇しますと、何とも言えない、不安に駆られます。
その解消は、本を読むしかない。と思い、朝の読書を続けているんですが、
それも、専門書とか歴史ものとかは長続きせず、ビジネス本とか経済雑誌に目を通し、見落としてる情報はないかと、仕事がらみの新しい情報を追うことになります。還暦を迎えるというのに。
なんとも世知辛い生き方です。もう少しおおらかにと思いつつ。
人間死ぬまで、修行。仕事がらみの情報収集に血眼になるのも、現役ならば、それは、それで、修行かと、あきらめていますが、問題は、その情報の取り方と質です。
先日も、仕事の鬼、そして情報通で知られる先輩経営者が、「最近、体力も気力も落ち、新聞も、本も読めなくなった」と嘆きながら、「情報収集の方法を変えた」と。
「へ〜。どんな風に?」「インターネットでお宅族ですか?」と、お聞きしますと。
「いや、いや「生」だよ。生情報。この歳になると、「生」が一番新鮮で、身になるね」と。
「生」?ビールじゃあるまいし。「話題の講師や注目のテーマを選んで「生」の話をを聴きに行くのさ」と。なるほど、でも、都会に住んでいれば、生の情報にいつでも触れることができるんでしょうが。
田舎暮らしでは、幾ら「生」が新鮮な情報収集の手段でも、わざわざ、東京まで行くのは?時間的にも、コストの面でも。「それは、先輩ならではの、情報収集方法ですね」。
「君、知らないのかね。田舎でも、あちらこちらの行政や商工会が、旬な講師を中央から呼んで、新鮮な話を聞かせてくれるのを。」「講師の息遣い、話の行間に潜む意味など、「生」はいいよ」と。
知らないのかって、言われても。わが社では、イベントセミナーを請け負う専門部署があり、
講演会の企画、プロジュースの仕事を、この地方で、年間450回ほど、やらせていただいてます。
なんだ。先輩はそこに足を運んで「情報収集」されて、おられるのか?
溢れる情報を消化するスピードは無くなったかもしれませんが、
「生」の話を聞いて勉強する方法なら、本や雑誌とは一味違う情報手段ですね。
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追伸
生涯学習や、セミナーなどの講演会を企画されておられる方は、
一度、我社の「http://www.kouenkai.info/」を覗いてみてください。生があふれてます。
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