手土産

岐阜城の展示物に、知恵はないのだろか・・・・・・。
私は悩んでいるのです。何をかと申しますと、手土産に。先日、尊敬する若き経営者が来岐。
仕事の苦労話は、さておき、江戸時代から続く、中山道の加納宿に位置する「二文字屋」(川魚料理)で、うなぎを頬張りながら、社会観や人生観を熱く語り合った。
経営者の資質は、人生観に由来するのだが、「人は何のために生きるのか」をとことん突き詰める哲学を持っているか。事業は「社会に如何に貢献するか」をどこまで真剣に追及するかで決まる。
それが、議論の結論。その後、折角、東京から片田舎まで、お越し頂いたのだから、何か岐阜の手土産をと、思案・・・・。青雲の志を持つ若き経営者に持参頂くものが思い付かない。
北海道の六花亭のバターサンド、長崎福砂屋のカステラ。京都の八橋。仙台の萩の月。などなど各地には。定番があるのだが・・・・。岐阜市には、それすら見当たらない。(昔は起き上がり最中が・・・・・・復活させねば。)
お盆のシーズン。この季節、帰省者で岐阜は一番賑わう。持たせて帰る手土産は何があるのかと思うと、誰もが、困っているんだろうと・・・・・・。岐阜をこよなく愛する私が、悩むのだから、心配する。
彼曰く「何度か岐阜に来たが、まだ、一度も岐阜城に行ったことが無い」とのこと、そうか。持って帰ってもらう手土産がなければ、山城から濃尾平野を一望できる国盗りの景色を見て頂くのも・・一考。
金華山の麓から、山頂までロープウエィーで5分ほど。そこから、約10分ほどで岐阜城の天守閣。
それが、手土産になるなら・・・・と、案内。
好天ならば、名古屋市内も、京への道も、伊吹山も一望できたのだが、悪天候で霞んでしまい残念だったが、彼曰く「この霞は、事業道半ばの証。次回は事業の成功を手土産に、もう一度、登ってみたいと思う。」とのこと。
志の高い人には、景色を手土産にと持ったが逆になった。なるほど、自然は偉大な手土産だ。
それにしても、岐阜市が観光の目玉として位置づける岐阜城。景色以外の展示物のお粗末さには呆れる。批判するのも、良くないが、資料館(これがまた酷い。駕籠(かご)が一つあるだけ)も合わせて、これでは、とても、訪れる人の心には残らない。手土産どころではない。何とかならないのか。と思う。
よし。次回、彼が岐阜に訪れる折には、再び岐阜城に案内。好天をプレゼントして「国盗り」の地を一望してもらい。これぞ、岐阜の手土産と言われるものを、企画してみたい。
                                         Goto

コメント

  1. ナガラ より:

    そうですね。
    土産物も観光地も、基本的には現在あるモノを見直おせば、いくらでも存在します。
    それに対し、自信と誇りとホスピタリティの心を持って、地元の人が観光客にじっくりとアピールすることが大切です。
    その時、やはり社長の本業である広告の力も使わなくては…。
    それも一過性でなく、岐阜のアイデンティティを見据えた息の長いキャンペーンを打つことも必要です。
    鵜飼の環境にしても、なにも長良川旅館街を無理に闇にしなくとも、変える方法はあります。
    例えば、聖域に手を付けたらどうですか?
    文字通りの聖域・御料場を、宮内庁と交渉して、条件付きの解放をしたら…。
    良識があるのかと疑われそうですが、伝統と観光の折り合いのつけ方を少し変化させれば、可能のはずです。
    繰り返しますが、土産物も観光地も新らしく作るモノではなく、地元の人間が努力して時間を掛けて、創り出すものなのです。

  2. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    岐阜市民は、鵜飼を幻想の世界に誘う努力をしているのでしょうか。なぜ、漆黒の環境が作れないのでしょうか?長良橋の車のライトは興ざめです。積年の疑問です。関係者のみならず市民にも問題があると思っています。
    私はお世話になった方に、不義理をしていまして、原則、中元も、歳暮も贈らないのですが、富有柿だけは、50名以上の方に、季節の便りを添えて、味わって頂いております。
    名古屋の河村市長が名古屋城の天守閣を木造にと考えているようです。金華山からの展望と、コンクリートで固めた無味乾燥な岐阜城、お粗末な展示物。そのアンバランスを何とかしなければ、折角の観光地も・・・と思っているんですが。
    岐阜市の土産物は、鮎菓子だと思っています。甘泉堂の子鮎菓子は、先の植樹祭の折に天皇、皇后両陛下のお茶受けにも出されました。各菓子メーカーが競っている商品でもあります。岐阜の土産物として売り出せればと願ってます。如何でしょうか?      Goto

  3. ナガラ より:

    今の投稿、名前を忘れていました。ゴメンなさい。

  4. 匿名 より:

    たまたま、昨日、金華山へ中国からのお客様をご案内したばかり。
    この文章を拝読して少し気になったので、投稿させていただきました。
    岐阜に土産が見当たらないとの社長のコメントに、同調したいような、でも、やっぱり同調したくないような、微妙な抵抗を覚えたのです。
    他地域に誇れる観光地。自慢できる手土産。
    どちらも同意語のように思いますが、果たして岐阜には、そんなにもメジャーなモノが存在しないのでしょうか?
    例えば東京ディズニーランドのような『新しい時代のハコモノ』を思い浮かべれば、確かに無理がありますが…。
    また、京都・奈良のように長い間政治の中心地になれば、歴史の積み重ねで当然のように有名な観光地になれるでしょう。
    しかし、他の地方都市も、岐阜と似たり寄ったりでは。
    むしろ岐阜は、地勢的に見て観光地としての条件に恵まれていると考えられます。
    そこで思うのですが、果たして『岐阜人』は『岐阜』のことを、よく見ていますか?…『岐阜人』は、『岐阜』を見る目の客観性を持っていますか?。
    以前に、鵜飼を訪れる観光客に絞った、あるアンケート調査結果を見たことがあります。
    それは、口にするのを憚るほど、酷い回答ばかりの内容でした。
    要約すれば、鵜飼に対する好印象はほとんどなく、中には『二度と鵜飼になんか来たくない』とわざわざ書き込む人さえいたのです。
    率直にいえば、そのアンケートに炙り出されたのは一般の印象と全く逆で、『伝統』の上に胡座をかく鵜飼観光関係者の姿でした。
    観光産業はサービス産業というごく当たり前のことを理解せず、時代や環境が悪い。岐阜はマイナーな場所だといい募る。土産物も何も無いと思っている。
    そう思い込むのは、自らの責任で前向きに取り組もうとしない、岐阜人の悪い癖なのです。
    手前味噌ですが、私がお使いものにする岐阜の手土産は、いつも『槌谷の柿羊羹』と決めています。(メーカーの関係者でもなく、宣伝に荷担する訳でもありませんので、誤解なく。)
    竹素材の鄙びたカタチと趣のある器に、以前よりずっと抑えた甘さの、干し柿風味の羊羹の味が、結構大勢の方に受けます。
    岐阜に住んでいると柿なぞ大した存在ではありませんが、他の地方(勿論、外国でも)では珍しいようです。