五月雨待つ

明日から5月・皐月です。

岩手、大槌町の山が燃えた。乾いた風に煽られ、炎は民家へと牙を剥く。どれほどの恐怖か、どれほどの無念か。津波を耐え、高台へ移り住み、ようやく掴んだ日常が、また脅かされている。自然は、時にあまりにも苛烈だ。

鎮める術は、ただ一つ。雨である。
雨・人の力の及ばぬ領域に、祈りを向けるしかない。「もう、このくらいで許してほしい」天に向かい、そう呟く日が続いたが、幸にして、一週間・民家に迫る寸前で雨が。何とか鎮火したようだ。大自然は我々に何の試練を与えたかったのか?

旧暦の5月を「さつき」と呼ぶ。「皐月」「早月」
語源は、早苗を植える「早苗月」とされる。田に水を引き、命を育む月。

本来は、恵みの水を待つ季節であった。旧暦の5月は今の6月頃、すなわち梅雨。「五月雨」は本来、命をつなぐ慈雨である。

「五月雲」「五月闇」――重く垂れ込める空も、かつては意味を持った。
そして「五月晴れ」。それは本来、梅雨の合間の束の間の光。だが今は、新緑の空を指す言葉へと変わった。時代とともに、言葉もまた姿を変える。

だが、変わらぬものがある。
人が自然の前に立つときの、無力さと畏れである。
爽やかな五月――その言葉が、今年はやけに遠い。感謝よりも先に、祈りが来る。清々しさよりも、痛みが胸を占める。

それでも、生きねばならぬ。
我々は、大自然の摂理の中で生かされている。条理も、不条理も、すべてを抱え込み、それでも前を向く。それが人の営みであり、宿命である。

ならば、覚悟を決めよう。
被災された方々に、「頑張れ」と軽々しく言うことはできぬ。だが、こう言いたい。――あなた方を、決して独りにはしない。国を挙げて守る。政治にだけ頼らぬ。その覚悟を、我々一人ひとりが持たねばならぬ。

年度の初月・4月も今日まで。
明日から皐月・5月の始まりにあたり、心を正す。
自然を敬い、人を思い、自らの無力を知り、それでも為すべきことを為す。

祈るだけで終わってはならない。
支え、動き、守る側に回る。
五月雨よ、どうか早く。
命を救う雨となって、降りてきてほしいと誰もが願った。

そして我々は、この試練を前にして、なお立つ。静かに、しかし揺るがぬ覚悟をもって。28日にやっと慈雨が降りた。感謝だ。Goto

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