哲学

暴露される内閣官房機密費・・・・。
ちょっぴり固い話です。言論人は、思想や見解を発表するのが仕事です。学者も評論家も新聞などの論説委員も、根底に哲学がなければならないと思っています。だとすれば、言論人は知を愛する人ということになります。
知的な人の絶対条件は、おカネに、きれいであることだと思っています。ある意図や思惑のあるカネを、受け取って論じることは、それこそ言語同断です。ましてや、テレビの報道番組などで積極的に発言しているとなると・・・。
しかし、現実は、そんなきれい事では済まされていないようです。メディアを使った世論操作に加担している言論人を、しばしば見受けます。中日新聞は18日付け朝刊・特報で、内閣官房機密費を取り上げました。総力取材です。
核心に迫った内容の濃い記事です。納得して読ませてもらいました。元官房長官が名指しこそしなかったのですが政治評論家に盆暮れ500万ずつ届けたとの爆弾発言を掲載しています。驚きと同時に、さもありなん。・・・変説著しい政治評論家の顔が浮びます。
時の権力に機密費があってしかるべきだと思います。国家を運営することは、「ままごと」ではないのですから、表もあれば裏もあります。機密費を駆使して政権を運営しようとするのは当然です。その使途をヒステリックに暴くのも大人げない。
むしろ、20年なり、30年後に公開するように法的整備をすれば良いだけです。
問題は、受け取って論を歪めた側です。中日新聞では取材に応じた三宅久之氏が「評論家と政治権力の距離を図るのは難しい。断ればよいのだが・・・後に関係が悪化する。最終的には良心の問題だ」と述べています。
そうだと思いますが・・私は、良心の問題よりも、哲学の問題だと思っています。言論とは、思想や見解を正すことです。つまりは、知を愛するがゆえにできる仕事です。
機密費を受け取って、権力の意図に沿った発言を繰り返す言論人と、そうでない人を見分けるのはとても難しいことですが。
三宅氏は、清廉潔白な政治家伊藤正義氏を最も尊敬すると発言されていたと記憶します。
清廉潔白とはカネや権力に固執しなかったということです。つまり哲学を持っていると言うことです。
情報社会です。言論の世界がカネ塗れでないことを祈ります。                    Goto

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