濃尾震災と北海道

東海を元気にするマガジン型新聞「asahiプラスC」に学ぶ・・・
まずはお詫びから。今週は朝日新聞にネガティブになりすぎました。5/5の子ども広告への違和感も、デジタル化にチャレンジする姿勢への疑問も、提言をもっとすべきではとの批判もあまりにも一面的な見方で、真摯な新聞作りを度外視した物言いだった反省しています。
5/12付・日曜版別刷り。「asahiプラスC」(東海を元気にするマガジン型新聞・朝日プラス・シー)の大型特集「北海道へ行こう」(河原田慎一記者)には・・若手記者の熱い息遣いが伝わり感動しました。
取り分け見開きの「大地興した東海の先人」は明治時代、北の大地に本州から多くの人々が渡りました。この東海地方からも開拓者が。そんな先人達の苦難の足跡を丁寧に追った記事(写真参照)には記者魂が通い・・・朝日の将来を担う豊富な人材の一旦を垣間見させてもらいました。
帯広・士幌などの十勝地方開拓の夜明けを築いたのは、明治24年濃尾震災で大きな被害を受けた岐阜県の旧揖斐郡、本巣郡の西濃地方出身者達が・・との記事に・・・私の母の実家は本巣郡・・思わず、記者が語る「定番の観光スポットにはない新たな魅力」を実感・・この夏に北海道を尋ねてみようかと思ってしまいました。
北見市には「岐阜」地区という地名があるそうで・・明治30年・・ここも旧本巣郡大野町から来た人たちの開拓地。やはり濃尾大震災被害者達が集団で。未開発地を無償で払い下げる道庁の制度を活用、函館から徒歩で来たという。地区に流れる川は度々氾濫、開拓には苦難の連続だったと・・記者は語る。
今でも80戸の集落で6割が岐阜出身者の子孫が頑張っているとの取材場所は・・・
故郷のつながりを感じてもらおうと1996年から本巣の名桜「淡墨桜」など120本のソメイヨシノが寄贈され・・・零下20度を下回る寒冷地に・・・去年からやっと咲き始めたと・・・
「桜が咲く頃は農作業が忙しくて、ゆっくり花見もできないのが残念だが、桜をみると岐阜との心のつながりを感じる」とその地区長が語る北見市にある岐阜移住者地区・・・震災、移住、開拓・・・とても明治の話とは思えない・・・切実な思いが伝わる。
特集は岐阜だけではない。愛知の尾張徳川家、肝いりの地八雲町には熱田神宮の分社「八雲神社」があり・・度々大噴火で「山津波」の被害に合いながらもそれを何度も跳ね返し、十勝岳の麓「上富良野」を開拓してきた三重県からの開拓者8名。彼らの開拓に打ち込む姿は三浦綾子が「泥流地帯」として小説になっているのだが、三重人たちの心に響く。
朝日の東海を元気にするマガジン・・いいですねぇ。まさに足で取材。真摯な新聞作りの心が伝わります。記事に血が通っています。朝日新聞名古屋本社の編集局記者の熱き思いに触れ・・・・東海地区の人たちが激寒の北海道を開拓した姿に学び・・・新聞って素晴らしいと感嘆してます。Goto
追伸
東海を元気にするasahiプラスC(朝日プラス・シー)は毎月第2・4日曜日に発行されます。
ぜひ、お読みいただきたいと願います。

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