慰霊の花火

東日本大震災を忘れない・・・・

14回目の3/11です。
あの日のこと。鮮明に蘇ります。
たまたま、社屋にいた私。ただ事ではない揺れに・・・
「外へでろ」「室内にいては危険だ」と叫んで、社員たちと一斉に屋外に。

駐車場の入り口にある電線は大きく揺れ続け。立っていられなくて
しゃがんでしまう人も。なんとかおさまって、部屋に戻り、テレビを付けた。
テロップが流れ、東京でも震度5・北関東・6、東北地方は7と表示された。
その時の揺れの感覚は今でも思い出します。

石巻日日新聞からです。
石巻市・渡波地区では今夜「3・11慰霊の花火」が打ち上げられます。
その実行委員のひとりは語る「次の世代に震災について考える機会をもらい、
教訓を語り継いでいければ」と思いを。

そのひとは東京都内の病院に勤務中、東日本大震災に遭遇。
都内では電車が止まり帰れなかったことを覚えている・・と。

その後、職場で震災の話題が出るたびに違和感を感じ・・・
自分の目で被災地を確かめたいと週末の度にボランティアで石巻市に。
同じくボランティアで石巻に来ていた男性と出会い、24年に結婚。
今では双子の子供と石巻市・渡波地区に移住・4人で暮らす。

二つ思います。
一つは私もじっとしてられないと、4月中旬・常磐線を乗り継いで・・
仙台のJLAA(日本地域広告会社協会)の仲間を見舞いに。それだけでした。
あとは祈るだけ・・・何かをと思いながら。忸怩たる思いでした。

もう一つは、人口減少が続く地域の自治体では移住定住を促進していますが、
本当の移住定住っていうのは、石巻市に移り住んだこの二人のような人たちを言うのではないか。ここに住むことが自分たちの居場所であると決めて。

二人は語る「渡波地区は本当に人が温かく、子供ができてからそれを
何より感じるようになった。距離の近さが何よりの魅力」ですと。
そうなのです。移住する場所が好みだとか、海が見える山が・・自然が豊かだとか。そんなことで移住しても、それはいっ時のことではないのか。

震災をきっかけに移住したことで、都市部の生活では経験できない港町の
さまざまなことを知る。「もし震災がなければ違う人生になっていたかも、
と考えてみても、東京での生活は全く想像できなくなった」と。
移住定住の姿を学ぶ。

今夜打ち上げられる「慰霊の花火」を見ることは叶わぬが。
北東の夜空に向かって合掌したい。
そして石巻市に移住して頑張る家族にエールを送りたい。Goto

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