ゴミ拾いは私の小さな修行です。
お待たせしました。(誰も待ってはいませんが)ウォーキングを再開します。
ご案内の通り、私は、毎朝、約3.5キロのウォーキングとストレッチを16年間続けています。この1ヶ月半ほど、足裏を痛めて休みました。なんとか癒えて、また歩けるようになりました。喜寿目前です。体がすっかり鈍ってしまいましたが「歩ける」ことに、感謝しています。
ウォーキングといっても、ただ歩くだけではありません。二つのことを。
一つは「考える」ことです。朝の爽やかな空気を胸いっぱい吸って、天から知恵が降ってくるのを待っているのです。ほとんど降ってはきませんが。
それを「待ち」ながら歩くことが楽しみです。
もう一つは、もう習慣化しているのですが。ゴミ袋とトングを持ち歩き、道端のゴミを拾うのがすっかり日課になりました。といっても立派な心掛けでやっているのではなく、自分への戒めのためにやっているに過ぎません。
「お前も気を抜けば同じようにだらしなくなるぞ」と自分に言い聞かせているのです。
そんな私の朝に、いつの間にか仲間ができました。
ストレッチ友だちです。休んでいた間、本当に心配してくれて、再開を心の底から喜んでくれます。ありがたいことです。彼らは私と一緒にゴミ拾いをしてくれるのですから。ありがたさ倍増です。
私の住む岐阜市北部は、県の総合運動場があり、高校があり文教地区です。普段は比較的きれいな街です。しかし、イベントがあるとゴミが散乱します。空き缶・ペットボトル、食べ物の包装紙。人が集まれば、どうしても残されてしまうものがあるのです。それを片付ける・・何となくですが嬉しいです。
人は弱い生き物です。油断すれば「自分さえ良ければ」という心持ちになりがちです。だからこそ、落ちているゴミを一つ拾うことで「少しはマシな自分になれ」と自分を叱責しています。
ゴミ拾いは、街をきれいにするというより、自分を正す作業です。
誰かに褒められるためでもなく、人にすすめるためでもありません。
ただ、自分がウォークングを心から楽しめるようになるための、私なりのけじめです。
人間は弱いからこそ、何か小さなことを続けることで、心を支えられるのだと思います。ゴミ拾いは、私にとってその一つ。歩けるようになったことへの感謝を胸に、また一つずつ拾いながら歩いていきます。Goto

 
  
  
  
  
コメント
ゴミ拾いで思い出す事が有ります。
名古屋勤めで、早朝、車で名岐バイパスを利用して通勤しておりました。(定年まで、39
年間)
一宮インター付近でよく見かけました。レジ袋を持って歩きながらゴミを拾っているを、、、
その方がココ一番の創業者の宗次さんでした。
ある時は、バイバス沿いの緑地の部分をトラックを持ってきて従業員と大掛かりな清掃をしている状況に遭遇した事も有りました。(今では時間外労働とかで難しいでしょう)
会社が大きくなり上場会社となり、創業者としての資産は莫大なものでしょう
孤児で生まれて大変な苦労をされて、その方面への社会貢献、趣味のクラシック音楽への発展に援助、応援と利他の精神を発揮。
私もゴルフ場で、たばこの吸い殻、折れたティー、等のごみを拾いますが、OBを免れるように、パターが入ります様にと、不純な気持ちが片隅にあります。ダメですね!