25年の総括

この一年――螺旋階段と弁証法で考える。

師走である。一年を総括する時、人はつい「前に進んだか」「後退したか」と直線で物事を測りがちである。しかし、人生も社会も、国家も、決して直線では進まない。

上から見れば、同じところを堂々巡りしているかのように見えるこの一年も、横から見れば、私たちは日々必死に働き、必死に生き、確かに時間の流れの中を前へ前へと歩んできた。その姿は円運動ではない。螺旋階段を一段一段、踏みしめて登ってきた姿であると、私は人間学的、そして哲学的に評価したい。

反省はできる。自己否定もできる。しかし、成長とは往々にして、当人には最も見えにくいものである。苦悩の最中にいるとき、人は自らの上昇を自覚できない。

ドイツの思想家ヘーゲルは、歴史の進歩を正・反・合という弁証法で説いた。肯定(正)が生まれ、やがてそれと対立する否定(反)が現れ、両者の緊張と葛藤の中から、より高次の統合(合)が生まれる。この運動は一度で終わらず、幾重にも繰り返される。だから歴史の進歩は直線ではなく、螺旋なのである。対立と混乱は退歩ではない。高みに至るために不可欠な通過儀礼なのだ。

いま日本の政治も経済も、まさにその螺旋の踊り場に立っている。
それは民主主義そのものが成熟していく過程に他ならない。

政治では、七月の参院選が象徴であった。高市政権の誕生は、26年続いた自公政権の安定構造が揺らぎ、維新との連立という新たな「合」へ移行する過程である。中道路線から右傾化への転換、そしてガラスの天井を破った女性宰相の登場もまた、歴史の螺旋運動の一断面である。

経済においても、米国の関税政策への迎合、米国経済への依存、ITの根幹をガーファに握られている現実を見れば、いかにも下降しているかのように映る。しかし、これもまた次なる自立と再構築へ至るための「反」の段階であり、やがて「合」へと昇華されていく螺旋の一局面であろう。

螺旋は国家だけを貫く法則ではない。企業も同じである。そこに働く人々が、誠実に、真摯に、懸命に働き続けるならば、歩みは遅々としていても、必ず上向いている。

個人もまた然りである。宗教観を持ち、哲学を持ち、自らの生き方の「軸」を据えて生きる者は、良書に学び、良き友と切磋琢磨し、良き師に導かれながら、知らぬ間に螺旋階段を高みに昇っていく。

時計の針は決して止まらない。そして、この一年間、すべて善しとして、私は前を向いて総括したい。もし年初より後退した、うまくいかなかったと感じるなら、残り1週間で証明すればよい。我々はいまもなお、螺旋階段を登っているのだということを。

大自然も、人間社会も、企業も、そして私たち自身も、この一年間、必死に螺旋階段を登ってきた。その事実こそが、来る年への夢と希望に繋がると、私は確信している。Goto

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