政治のプレゼントに足るを知ろうではないか。
ホワイトクリスマスには遠い温かな今朝だが。
街は静かに浮き立ち、子どもたちは眠りにつく前から、枕元を何度も気にしている。クリスマスに付き物なのは、やはりプレゼントだ。
今年、国民にも、確かに一つの大きなプレゼントが届けられた。所得税の課税が始まる、いわゆる「年収の壁」。これを現行の160万円から178万円へ引き上げることで、政府と国民民主党が合意し、その内容が2026年度税制大綱に盛り込まれることになった。
併せて、ガソリン税の暫定税率廃止が現実のものとなり、12月に入ってから、ガソリン代、灯油代が目に見えて下がった。これは机上の議論ではない。生活者が、日々の暮らしの中で実感できる変化だ。
私は、これを「政治が示した大型のクリスマスプレゼント」だと思っている。
衆参両院で与党を過半数割れに追い込んだ結果、野党の政策が動き、国民の生活に具体的な果実として返ってきた。これは、対決ではなく、解決を選び取った政治の成果であり、野党と国民の勝利と言ってよい。
維新の会が掲げた高校授業料の無償化。
野党各党が主張してきた給食費の無償化。
これらもまた、政治が現実を動かし始めた証左である。
ハングパーラメント――ねじれ、拮抗した国会運営は、決して混乱ではなかった。むしろ、熟議と妥協、そして決断を迫る健全な民主主義の姿であった。
その中で示された高市首相の英断には、率直に敬意を表したい。
必ず出てくるのが、「財源はどうするのか」という、いかにももっともらしい声だ。だが、私は思う。不要不急の無駄は、まだこの国に山ほどある。メスでは生ぬるい。電動チェーンソーで、思い切ってぶった斬ればよい。片山財務大臣に期待したい。そこにこそ、政治の役割がある。
それにしても、気になるのは新聞メディアの論調である。これほど明確な「成果」が示されているにもかかわらず、最後は必ず「代替財源の議論が必要だ」と付け加え、せっかくの前進を帳消しにしようとする。その姿勢こそが、この国の政治を萎縮させ、日本を沈ませてきた要因ではなかったか。
プレゼントを前にして、まず疑いの目を向けることが、知性でも正義でもない。それは単なる思考停止であり、現実から目を背ける態度に過ぎない。
かつて、「自民党をぶっ壊す」と叫ばれた構造改革があった。郵政改革である。さらに遡れば、国鉄をはじめとする国有企業の民営化。いずれも賛否はあったが、日本を前に進めたことは間違いない。
今回の税制改革も、それに匹敵する政治のダイナミズムを内包している。
民主主義とは、手間も時間もかかるものだと改めて思う一方で、やはり大したものだと、2025年の一年を振り返り、つくづく感じる。
政治がくれた、クリスマスプレゼント。我々国民は、またしても「実感が乏しい」と嘯く新聞メディアの批判に誘導され、文句を言うかもしれない。だが、それはあかん。
足るを知ること。
社会は一足飛びには良くならない。だが、ジワジワと、確実に前へ進む。
子どもの頃を思い出してほしい。
朝、目を覚まし、枕元に置かれたプレゼントを見つけた時の、あの目の輝き。
その裏で、サンタクロースが必死に準備し、努力してくれたことを、私たちは疑わなかった。今こそ、大人の我々も同じ心を取り戻すべきではないか。
政治が差し出したプレゼントを、素直に受け取り、次への期待へとつなげる。それが、この国の未来を信じるということなのだと思う。Goto


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