縁とは与えられるものではなく、育てるものではないか?
人生とは、すべからくご縁である。
としみじみ思う。黄昏だからか、晩秋だからか。
どれほどの人に出会い、どれほどの言葉を交わしてきただろうか。
数えたことはないが、心を通わせた人となると数千人になるかもしれぬ。
地球上に七十五億人、日本に一億二千万人が生きる中で、今そばにいる人たちと出会えたことの奇跡を思うと、これまでどれほど多くの縁を取りこぼしてきたかと、深く自省する。
「緣尋機妙 多逢聖因」という言葉がある。
“よき縁を求め、時機を逃さず行えば、多くの尊い出会いを得る”という意味だ。人は待つだけでは良縁は来ない。自ら縁を尋ね、妙なる時をつかんでこそ、人生は豊かに花開く。この言葉の真意を若き日に理解していたなら、もっと誠実に人と向き合い、もっと素直に学べたのではないかと思う。
それでも、幸いにして私は、今なお多くの方々とのご縁に恵まれ、日々新たな学びを得ている。良書に導かれ、良友に励まされ、良師に教えを受ける。
これ以上の幸せはない。
幾百年も風雪に耐えてきた古典が身近にあり、切っても切れぬ“腐れ縁”の友がいて、そして今なお謦咳に接する師がいる。米寿を迎えられた師、卒寿になられた師に学べることのありがたさを噛みしめる。
私は喜寿を迎える。
「お前と縁があってよかった」と言ってくれる若い人が、いったい何人いるだろうか。そう思うと、まだまだ修行が足りぬ。
だが、この歳になってようやく、縁とは“与えられるものではなく、育てるもの”だと気づいた。
先日、四十年の縁を重ねた盟友が逝った。
桜木は葉を落とし、銀杏は黄に染まり、草花も枯れていく晩秋。寂寥の中に身を置きながら、彼を偲ぶ会を彼とご縁のある友たちに集ってもらい催した。駆けつけてくれた人たちが静かに語ってくれた偲ぶ思いに、戻ってきた彼も喜んでくれたに違いない。「君よ案ずる莫れ、志は若き枝に満ちている」
私は彼に、邂逅を感謝して・・・
「もう少し社会にお役に立ちたい。それが済んだら、美味い焼酎を持って行くから、待ってろよ」――そう心の中で呟いた。
人生とは、めぐり逢いの連続である。ご縁を大切にする者こそ、最期まで人の温もりに包まれる。緣尋機妙、多逢聖因――その言葉を胸に、残る道を丁寧に歩いていきたい。Goto


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