やれるときにやる

できるうちに、いまを生きる

友人が、こんな言葉を運んできてくれた。
年の瀬、そして喜寿という節目にある身には、胸の奥にすっと沁み入る。

――いつか必ず終わりがくる。
大切な人との時間も、自分で動かせる体も、見慣れた風景も。
当たり前のことだ。だが、この「当たり前」を、私たちは驚くほど軽んじて生きている。明日も同じ朝が来る。来年も同じ景色が続く。
そう思い込み、今日という一日を雑に扱ってしまう。

だが、終わりは予告なくやってくる。
昼が夜へ移ろうように。秋が冬へ変わるように。
静かに、確実に、そして突然に。

77年生かされ、年の瀬を迎えて、つくづく思う。
人は「できなくなってから」気づく生き物だということを。
歩けなくなってから、歩けた日々の尊さを知る。
(ゴルフの飛距離が落ちたことを嘆いているのではない)
(転んで動けなくなった人が周りに多過ぎる)

会えなくなってから、「ありがとう」を言えなかったことを悔やむ。
だからこそ、私はこの言葉を自分への戒めとして受け取りたい。

「できるうちに、やる。」

いまなら動く体で、行ける場所へ行く。
いまなら声が出るうちに、感謝を伝える。
いまなら会える人に、会いに行く。

人間学とは、特別な哲学書の中にあるものではない。こうした「当たり前」を、当たり前として扱わない生き方そのものだと、私は思う。

一年を振り返れば、後悔のない人などいないだろう。私も同じだ。
やり残したこと、言い足りなかった言葉、詫びそこねた思いはいくつもある。
いちばんは仕事だが・・・・

だが、それでもなお、今年を「良い一年だった」と言えるかどうかは、
残りの日々をどう生きるかにかかっている。

今年も残すところ十日余り。
一年を慌ただしく畳むのではなく、丁寧に締めくくりたい。

今日できることを、今日やる。
今日伝えられる感謝を、今日伝える。

終わりがあるから、人生は尊い。
終わりがあるから、いまが輝く。
できるうちに、やれることをやってみる。

それが、年の瀬に私が自分へ贈る、ささやかだが確かな人間学である。Goto

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