医療と経営は、分けるべきではないか。
私は2020年5月、前立腺がんで岐阜大学病院に入院し、全摘手術を受けた。コロナ禍の最中、10日間の入院だった。あれから5年以上が経つが、再発はない。今も3か月に一度、定期検診を受けている。
主治医である教授と、そのチームの皆さんには、今も心から感謝している。命を預け、命を救ってもらっているからこそ、44国立大学病院が3年間連続で赤字。25年度は400億円超など許されない。だから考えてみる。
国立大学病院の使命は、誰が見ても明らかだ。医療従事者の教育、医療技術の研究開発、臓器移植に代表される高度医療、そして医師派遣による地域医療への貢献。これらは、採算や利益と引き換えにしてよいものではない。国家的使命である。
だからこそ、私は経営者として強く言いたい。医療と経営は、徹底して分離すべきだ。医療従事者同士で病院経営を議論しても、疲れるだけである。それは結論の出ない「小田原評定」に過ぎない。
国立大病院の医師は医療に集中すればよい。研究者は研究に没頭すればよい。病院経営は、覚悟と責任を持った経営者に任せるべきだ。
医学部教授は、優れた医師であり学者である。しかし経営の専門家ではない。崇高な使命感と経営感覚は、必ずしも両立しない。それを一人の人間に背負わせる制度設計こそが、無理筋なのだ。長い課題だ。さらに、病院長が任期制であることも、経営の継続性を損なっている。
任期中を無難にやり過ごせばよいという空気が生まれれば、抜本改革は先送りされる。経営はそんな甘いものではない。命を扱う組織であっても、経営の責任が曖昧になれば、必ず歪みが出る。
日本の総医療費は、すでに50兆円を超えている。この巨額な医療費の中で、国立大学病院だけが赤字に沈むのは、人件費の高騰、医薬品費や設備の高騰や現場の努力不足ではない。制度が間違っているのだ。
国立大学病院長で構成する「国立大学病院長会議」が、診療報酬の引き上げを厚労省に訴え、存続の危機を叫ばねばならない国の姿は、どう考えても異常である。守るべきは、組織の延命ではない。日本の医療の中枢だ。
使命を全うさせたければ、医療を医療者に、経営を経営者に任す。その仕組みを医学部の教授たちが自ら望む。その姿勢がない限り、国立大学病院が生き残る道はない。当たり前のことである。Goto


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