年の瀬、カレンダーと私
先週は異常なほど温かい日々が。滋賀との県境、薬草の山、伊吹山に雪がない。年の瀬でこんな光景は珍しい。青森の友人も道に雪がない年末、首を傾げるほど記憶がないと。
どうしてもカレンダーの残り日が気になり出す。人生の残り時間が、うっすらと透けて見えてきたからか。それとも冬至を過ぎ、黄昏の足がやけに早いせいか。夕方五時前には夜の顔をするこの季節は、否応なく人を内省に誘う。
この一年、まだやり残したことがある。
そんな思いがふと胸をよぎる。女神に後ろ髪はないというが、幸い(いや不幸か)私の頭にも毛はない。掴もうにも掴めぬ。笑って済ませるしかないが、笑っている場合でもない。
誰かが言った。
「今日一日は永久に戻らぬ一日だ。素晴らしい未来のために、悔いを残さぬよう、今日も一日しっかりやりたいものだ」と。分かっている。分かっているが、これがなかなか難しい。
人生などと言い出すと、急に大げさで、面倒で、少々胡散臭くもなる。だが一言で言えば、人生とは自己との対決、自分との勝負ではないかと思う。
怠け心に打ち勝ったか。
やると決めたことを途中で投げ出してはいないか。面倒になって、そっと放り投げた自分はいなかったか。「これは難儀だ」とスタスタ逃げ、都合のいい言い訳を用意して平気な顔をしてはいなかったか。人には偉そうなことを言いながら、自分は安全地帯に身を置いたまま、石だけ投げてはいなかったか。
ひとりの人間として、自分と競争し、自分との勝負に勝てる人が立派な人だとするならば、さて私のこの一年、日々、時々、折々はどうだったのか。手帳を、静かに、ゆっくり捲る。
負けてばっかりやったなぁ。
反省なら猿でもできる。だが、猿は明日を変えようとはしない。そこが人間の意地だ。残り一週間。己れの弱さに、せめて一つでも勝って締めたい。
少し湿っぽい話になったが、根底にあるのは、私の性根だ。何があろうと、人間皆同じ。負けてたまるか。社会に押し潰されてなるものか。この小さな反骨心と、ささやかな誇りが、今年の私を動かしてきた。
12月23日。営業日としては今日を含めて5日間だけとなった。優秀な幹部から「年末、大掃除なんかやってられるか。ビシッと締めるぞ」そんな檄が届く。5日間だ。私なりにこの五日間を輝かせてみたい。
大逆転など狙わない。奇跡も求めない。ただ、今日一日を、昨日より少しだけ真っ直ぐに生きる。年の瀬は、反省の季節であると同時に、覚悟を新たにする季節でもある。カレンダーの残り日を数えながら、まだ真っ暗な窓から、稜線も現さぬ金華山とそのいただきに聳え立つ岐阜城をのぞみながら私は静かに拳を握る。
よし、もう一踏ん張りだ、と。今年は、反省を乗り越えて、そして少しだけ笑って、締めくくろう。Goto


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